手打地区コミュニティ協議会

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‘ 手打地区の紹介 ’ の記事一覧

釣掛崎灯台

日付:2010年07月09日 | メニュー:手打地区の紹介

釣掛崎灯台は、甑島の最南端に位置している。釣掛崎灯台付近の歴史をたどれば、天明四年(1784)の徳川鎖国時代、地理的に中国や韓国に近いことから、異国船監視の拠点として灯台付近に遠見番所が置かれ、村の郷士が交代で異国船の監視をしたと記録されているなど、重要な場所であったことがうかがえる。

明治時代に入り、日本から台湾に至る南方航路整備のため九州西岸から西南諸島にかけて、重要な拠点に建てられた灯台八ヶ所の一つが釣掛崎灯台である。(釣掛崎灯台は、明治29年2月15日十字形のレンガ石造りの白色灯台に初めて明かりを灯した。)

昭和20年4月9日から8月12日までに3回の空襲を受け灯篭、ハリ板(外側のガラス板)、レンズに大きな被害を受けた。しかし、職員の懸命な努力により消灯することなく平和な時代を迎えることが出来た。

釣掛崎灯台は、串木野航路標識事務所が管理運用する43基の航路標識(平成元年現在)の中では一番の大型灯台で歴史も古く、今後とも永久に消えることのない不滅の光を東シナ海に照らし続けることであろう。「下甑村郷土史より抜粋」

釣掛崎灯台は、下甑島の唯一の観光資源でもあり、以前は小学校の遠足の場所でもあった。灯台の沖、東シナ海に沈む夕日は格別のものがあり、西方浄土とか思わず手を合わせたくなるような心境になり神秘的である。

また、釣掛崎灯台は、甑列島の南端に位置し、薩摩川内市の最西端でもある。

大泊墓地公園

日付:2010年06月21日 | メニュー:手打地区の紹介

大泊墓地は手打集落を隔てた大泊海岸にあって、通称「景地・けーじ」と呼ばれ、手打湾西岸の礫浜に臨み、以前は松原になった景勝の地であった。墓地は南西に向かい、天然痘・赤痢・コレラ・腸チフス等の伝染病病没者の墓碑が随所に建立されていたが、昭和59年関係者により、大泊墓地公園建設推進委員会が設立され、大泊伝染病病没者埋葬地として追悼の碑「倶会一処」が建立され現在に至っています。

悲しい思いでこの世を去った先人たちの嘆きが「ほうそう哀歌」に込められています。先人たちの悲しい史実を後世に遺す貴重な史跡です。

旧武家屋敷通り

日付:2010年06月04日 | メニュー:手打地区の紹介

(手打の歴史)旧武家屋敷通

麓地区の石垣の築造は鎌倉時代以前から行われていたと思われ、郷士制度のもと麓を中心として栄えた武家屋敷集落においては防風のためだけではなく、その家の格式の 高さも象徴していたといえよう。また、この地の石垣は、同じ郷士制度がとられていた知覧の麓地区の樵石を使ったそれと比べ、天然の玉石を用いた独特のものとなっている。この石垣や生垣は700M以上に及び、乱層玉石積みの石垣と南国の花や樹木で形成された生垣とで造る狭い路地空間は、県下他所の武家屋敷跡と異なり、特有の風情を醸し出している。

これは、美しいまちづくり推進事業「整備計画」調査報告書より引用したものです。いまだに残る風情これからも大切に維持しなければなりません。

新田神社について

日付:2010年05月31日 | メニュー:手打地区の紹介

新田神社は、手打地区のほぼ中央に鎮座し、手打地区民の守り神です。神社の祭祀は9月19日・2月4日が正祭となっていますが、現在は毎年10月中旬の土曜日に行っています。今年度の秋季例祭は10月16日(土)の予定です。神事の後、手打剣道スポーツ少年団によります剣道の奉納や空手道の奉納、昨年は26年ぶりに復活した本町地区の郷土芸能「棒踊り」も奉納されました。

また、毎月第一土曜日の午後1時30分から新田神社周辺の清掃を全区民に呼びかけて実施しています。この神社は昭和27年に宗教法人として認可を受けた神社で、級社は5級社となっています。詳しくは上記写真の由来をクリックしてください。

手打後馬場海岸

日付:2010年05月28日 | メニュー:手打地区の紹介

手打後馬場海岸

鹿児島県が海岸保全事業で整備した全長約1キロの階段式になった堤防であり、沖の防潮堤と一体となり台風時の高波等に対処した防災施設であります。

また、整備されたこの海岸と砂浜(約1キロ)が一体となって格好のジョギングコースでもあり、住民の憩いの場として、健康増進の場として有効に利用されています。

潮騒を聞き、潮の香りを感じながらのジョギング格別のものがあります。一度体験してみませんか。

下甑郷土館について

日付:2010年05月26日 | メニュー:手打地区の紹介

薩摩川内市下甑郷土館

遠く古い時代から先人たちはこの土地に生まれ住みつき、きびしい自然環境の中でさまざまな生存の営みを繰り返しながら連綿として受け継がれて現在まで息づいています。この館は、先祖の人々が長年にわたって限りない多くの苦難の過程を経て智恵を出し築き上げてきた生活文化の変遷を知る上において、貴重な民俗(生活、生活用具等)歴史・考古資料を大切に保存して後世に継承すると共にこれらの資料を展示・公開することにより、先人たちの足跡を知りさらに未来に向かって新しい発展を積み重ねて行くために大きく役立つことを念願し建設されたものです。

なお、この敷地は、建武の中興の忠臣楠木正成の末流楠木和田家(菊水の定紋)がこの地におちのびて住みついたといわれる歴史的に由緒あるところで家屋(おまい・なかい)や庭園・山水池も以前の姿に復元したものです。

・開館日:毎週水曜日~日曜日まで

・開館時間:午前9時~午後5時まで

・休館日:毎週月曜日・火曜日

・入館料:大人・100円・児童、生徒50円(団体10人以上80円)

・連絡先:下甑郷土館 電話・09969-7-0419

手打コミュニティ協議会 電話・09969-7-0928です。

甑島の歴史を知る貴重な資料が展示されています。皆さんのおこしをお待ちしています。

手打の砂浜

日付:2010年05月12日 | メニュー:手打地区の紹介

「釣りバカ日誌9」のロケ地 手打の砂浜

津口山                                     津鼻崎             ロケ記念

ここ甑島では沿岸流が激しく、円礫の浜はあっても砂浜は珍しく、手打浜ほど発達した砂浜は珍しいものなのです。手打浜に砂が堆積できたのは、背後に風化する花崗閃緑岩体が多量にあったこと、その土砂を運ぶ河川(長川)があったこと、さらに津口山が約一キロも突き出ていて、激しい沿岸流を食い止め、砂の体積を容易にさせたことなどが考えられます。また、きらりと金色に輝く砂は、金ではなく、金雲母です。(鹿児島県「地学のガイド」)より引用。

ここ手打浜で6月19日(土)午後1時30分から「手打海開き式」が開催されます。一年間の海の安全を祈願する神事が執り行われ、その後、子供たちを中心に初泳ぎや、スイカ割などが行われます。雨天等の場合、神事だけがコミュニティセンターで行われます。