(手打の歴史)旧武家屋敷通
麓地区の石垣の築造は鎌倉時代以前から行われていたと思われ、郷士制度のもと麓を中心として栄えた武家屋敷集落においては防風のためだけではなく、その家の格式の 高さも象徴していたといえよう。また、この地の石垣は、同じ郷士制度がとられていた知覧の麓地区の樵石を使ったそれと比べ、天然の玉石を用いた独特のものとなっている。この石垣や生垣は700M以上に及び、乱層玉石積みの石垣と南国の花や樹木で形成された生垣とで造る狭い路地空間は、県下他所の武家屋敷跡と異なり、特有の風情を醸し出している。
これは、美しいまちづくり推進事業「整備計画」調査報告書より引用したものです。いまだに残る風情これからも大切に維持しなければなりません。