手打地区コミュニティ協議会

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釣掛崎灯台は、甑島の最南端に位置している。釣掛崎灯台付近の歴史をたどれば、天明四年(1784)の徳川鎖国時代、地理的に中国や韓国に近いことから、異国船監視の拠点として灯台付近に遠見番所が置かれ、村の郷士が交代で異国船の監視をしたと記録されているなど、重要な場所であったことがうかがえる。

明治時代に入り、日本から台湾に至る南方航路整備のため九州西岸から西南諸島にかけて、重要な拠点に建てられた灯台八ヶ所の一つが釣掛崎灯台である。(釣掛崎灯台は、明治29年2月15日十字形のレンガ石造りの白色灯台に初めて明かりを灯した。)

昭和20年4月9日から8月12日までに3回の空襲を受け灯篭、ハリ板(外側のガラス板)、レンズに大きな被害を受けた。しかし、職員の懸命な努力により消灯することなく平和な時代を迎えることが出来た。

釣掛崎灯台は、串木野航路標識事務所が管理運用する43基の航路標識(平成元年現在)の中では一番の大型灯台で歴史も古く、今後とも永久に消えることのない不滅の光を東シナ海に照らし続けることであろう。「下甑村郷土史より抜粋」

釣掛崎灯台は、下甑島の唯一の観光資源でもあり、以前は小学校の遠足の場所でもあった。灯台の沖、東シナ海に沈む夕日は格別のものがあり、西方浄土とか思わず手を合わせたくなるような心境になり神秘的である。

また、釣掛崎灯台は、甑列島の南端に位置し、薩摩川内市の最西端でもある。