あけましておめでとうございます。今年もよろしくおねがいいたします。
さて、ちょっとおそいですが、お正月の飾り物といえば「門松」ですが、今日は、手打地区の門松と知覧町武家屋敷の門松の共通点についてご紹介します。
知覧町武家屋敷の門松
知覧町武家屋敷の門松は円錐状に盛ったシラスに笹のついたままの竹や松・ゆずり葉をたてて、シラスには薪を3本円錐状に置きます。シラスを盛った門松は、神様が降臨されたとき宿られる依代(よりしろ)、薪を置くのは「かまどの火を絶やすことなく、三度・三度食べられますように」、「この土地に根付いていられますように」「薪の鋭い割れが邪気をはらう」などの意味があるといわれています。
手打地区の門松
手打地区の門松は、円錐状に盛った白砂に支え木で松・竹を立てて、白砂にはまっすぐに割った薪(マテの木)3本を組み合わせて末広がりに置いたものであり、知覧町武家屋敷のものとその形式・意味もほとんど同じではないかと思われます。
門松は古くから、新しい年を迎えるにあたって、玄関先を清め、悪い鬼または邪気などが家の中に入らないように祈念して立てたもので、門松で新年の神様をお招きする風習は全国各地にあるそうです。
「松は千歳を契り、竹は万代を契る」ということわざがあり、門松に松と竹が使われるのは神の宿る場所(依代(よりしろ))が永遠に続くことを願っての組み合わせであると考えられています。
門松を29日に立てるのは「九松」といって「苦待つ」に通じることで嫌われるようです。28日までに立てるのが一般的のようです。
門松は平安時代ごろから、めでたい木とされた松と、そのあとに竹が添えられて、めだいものになり、竹と松が飾られるようになったとあります。
手打の門松は鎌倉時代に甑島地頭として鎌倉から来島した小川氏とその家臣団によって伝えられたものと考えられます。そのためか質素で力強い鎌倉文化を思わせる様式をしているのでしょう。
これからも、先人たちが諸々の思いを込めて育み伝承してきた由緒ある貴重な伝統文化を大切に継承していきたいと思います。